An essay about PEUGEOT プジョーの故郷、ソショーの思い出

もしあなたの手元に携帯かPCかタブレットがあったら、ネットにつないで「フランスの地方行政区画」とタップして欲しい。リストの中からウィキペディアを選んで中の地図を拡大。フランス全土のいびつな五角形が見えたら頂点から時計回りにひとつ目の角まで下り一旦ブレイク。アルザス(Alsace)という表記を確認したら、斜め左下に移動する。真右に進むとドイツに、真下に降りるとスイスに入ってしまうので要注意、斜め左下がポイントだ。
さて、フランシュ・コンテ(Franche Comté)という文字が読めただろうか? ここが今回の「舞台」である。

プジョーの故郷は、フランシュ・コンテ地方に集中している。正確にはこの地方に属するドゥー県の中のモンベリアルという一帯。一族の出身地も幅広く手がけた事業もすべてモンベリアル内に散らばっている。自動車生産もここでスタート。最初はヴァレンティニー、1922年にソショーという町に移された。
フランス人がプジョーのお膝元はと聞かれて真先にあげるのが、このソショーだと思う。フランシュ・コンテがプジョーの舞台なら、舞台の中心に置かれるのがソショー。人口4000人ほどの小さな町には現在も稼働する工場がある。ミュージアム(Musée de l’Aventure PEUGEOT)もここに。何よりプジョーとソショーを結びつけるのはサッカーチームの存在だろう。FCソショー=モンベリアルは現在こそ2部に甘んじているものの、1部優勝やフランス・カップ、フランスリーグカップを制覇したこともあるつわものだ。1928年、ジャン・ピエール・プジョーの発案で企業チームとして設立された。(註)
私がソショーに足を運んだのはかれこれ10年以上も前のこと。近郊の町で育った友人の実家に遊びに行った際、折角だからとプジョーの故郷に連れて行ってもらった。細かな記憶は薄れているものの、ひとつだけはっきり覚えているのは、アレン川がもたらす水量豊かな土地の姿。プジョー家が初期に手がけた脱穀や製糸は水車を動力源としたことを実感するような、静かだが力強い光景だった。
このとき友人の家で振る舞われたのはもちろんフランシュ・コンテ料理である。メインはソーセージや豚肉、牛肉とキャベツや人参を煮込んだポテ・コントワーズ。野菜が肉に隠れる鍋をテーブルに置いたお母さんがこう言った。
「やっぱりお肉を食べていただきたいわ。このあたりは、80%が人間、10%が牛、7%が鶏、3%が豚で構成されてるのよ。みんなが足にしてるのはもちろんプジョー」
うまい! 思わず笑ったが、ウケたのは私ひとり、みんなニコリともしなかった。「あれはジョークじゃないんだよ。僕らにとっては牛も豚も住民の一部。プジョーに乗ってるというのもほんと。この辺りの人間にとってクルマといえばプジョーだから」、後から友人にこう教えられた。ああ、それで誰も笑わなかったのかと納得すると、友人が違う違うと遮った。
「あれは気質だな。フランシュ・コンテ人は静かで有名なんだよ。ゲラゲラ笑ったり感情を表に出したりしない。でも、おとなしい人間がしばしばそうであるように芯はめちゃくちゃ強いんだ。プジョーが作ったノコギリの刃のごとく、っていわれてる」
我が家には毎年、フランシュ・コンテの名産品、コンテチーズが届く。ホクホクした食感がとても美味しい、フランスでもっとも生産量の多いチーズだ。送り主はあのお母さん。会ったのは一度だけ、心を通わせたわけではない。別れ際に目を潤ますこともなかったが、毎年欠かさず送ってくれるのだ。荷物に添えられる手紙はいつも「また遊びに来てください。家族みんなで待っていますよ」と結ばれている。ノコギリの刃のごとく堅い芯を持つフランシュ・コンテ人は、素朴で温かく、優しい人々なのだと思う。

もし手元にまだ端末が置かれていたらYouTubeを開いて『En passant par la Franche Comté』と打ち込んで欲しい。珍しい動画に出合えるはずだ。ただし58分20秒と長いから、夜、ゆっくり見ることをお勧めしたい。鑑賞のお供はコンテチーズと、チーズと並ぶ名産品の黄色いワイン、ヴァン・ジョーヌ。あなたをきっと、逞しい大地と大地に根付く人々が生み出したプジョーの世界にいざなってくれるはずだ。

  • (註)現在は別の企業がチームを所有。

text=Yo Matsumoto
illustration=Toshihiko Ando