An essay about PEUGEOT ライオンの快進撃に思う
フランス人はバーベキューが大好きだ、こう知ったとき私はとても驚いた。20年前、南仏に住み始めてすぐのことである。もっともポピュラーなのは、シポラタというソーセージを焼いてバゲットに挟むもの。付け合わせは形がわからぬほどクタクタに茹でたインゲンで、野菜は食感を楽しむものと思っていたから、これも大いに驚いた。自分の好みは普遍ではないことを教えられたものの、バーベキュー好きの国民性はやはり予想外。フランス人というのは公園でひとり、本を読んでいるとか、蝋燭の灯を挟んでワイングラス片手に愛を囁いている、こんなイメージを抱いていたら、どっこい、みんなでワイワイ騒ぎながら屋外で盛大に肉を焼いていた。そういえば彼らは年齢を問わず自分の誕生会を催すのも好きだ。これもミスマッチに感じられてならない。自分が抱いたフランス人のイメージは一体いつ、どんなふうに刷り込まれたのだろう。
フランス人と自動車の関係にも驚いた。社会がマイカーでの移動を前提に構築されており、通勤や買い出しのみならず、たとえば子供は高校生になっても親の送り迎えが必要だ。20年前こう知ったとき、子供はまだ幼稚園、先の長さに目眩を覚えたが、これは国の成り立ちによるもの、選択の余地はない。フランスは、パリを筆頭にしたちょっとの都市と、たくさんの地方で出来上がっている。地方は緩やかな丘陵地と平野が多く可住地に恵まれているため、家々はセンターに集中せず非常に広い範囲に散らばる。故に公共交通ですべてを網羅することは不可能なのである。移動におけるマイカーへの依存率はおそらく欧州一、クルマはひとり1台が基本だ。これが小型車を発達させたのだと思う。1980年代の日本でプジョー205に乗っていたが、あの軽快で楽しい走りはこの国の成り立ちと地勢が生み出したものだったことを、住んで初めて理解した。
同時に、プジョーというブランドのオーナー像が、思い描いていたブランド・イメージとぴったり重なっていたことも驚きだった。ただしこれは楽しい驚き。老舗プジョーを愛する人々はこの国の良心のようなタイプ。当時、知り合ったフランス人には片っ端から愛車を尋ねたもので、何事にも偏見がなさそうだと感じたヒトはプジョーに乗っていた。この予想に“ハズレ”がないことが大いに面白かったけれど、ブランド・イメージについては20年の歳月を経て変化した。環境への配慮、技術の進歩、グローバリゼーション、乗り手の意識変化などさまざまな要素を踏まえて、ブランド自身が変革を遂げたのだと思う。
プロダクツを昇華させたという点でフランスの自動車メーカーの中でもっとも大きく変わったのは、プジョーかもしれない。205は輸出も含めた販売台数の多さ、WRCでの活躍、いずれもライオンの起爆剤と呼ばれるにふさわしいサクセスモデルだった。愛されモデルの後継車はいつの時代も難しいものだが、プジョーは206、続く207を送り出してユーザー層を広げた。今でも忘れられないのは、一時期、校門の前で長い列を作る迎えのクルマがシルバーメタリックの206と207だらけだったこと。校舎から出てきた子供が「ウチのプジョー」を探して走り回った。列の前に向けてダッシュ、あっ、これじゃないとばかりに今度は列の後ろにダッシュ、闇雲に走るものだからふたりがぶつかってカバンが吹っ飛んだり、帽子が脱げたり、合間に親がクルマの窓からこっちこっちと手を振った。あの懐かしい光景を思い出すたび、今、校門の前には208が並んでいるのだろうと想像せずにはいられない。現行のプジョー208は2020年、フランスでもっとも売れたモデル。2021年上半期も同様で、加えて2008、3008、308もトップテン入りを果たした。
成功の秘密は、205時代に培ったスポーティネスにエレガンスを取り入れたことではなかろうか。スタイリングもスポーティでエレガントなら、軽快さとしなやかさを共存した走りも然りだ。ワイングラスを片手に静かに愛を囁くような静のスタイルを優雅さと思ってきたが、動のそれもあることを最近のプジョーに教えられた。滑らかな機動力、シャープな切れ味もまた、美しい仕草はエレガント、プジョーが目指したものである。今年2月には11代目に当たる新しいロゴが発表された。新社長は女性。ル・マンへの復活もアナウンスされている。快進撃を続けるエレガントなライオンの進む道を、見守りたいと思っている。
text=Yo Matsumoto
illustration=Toshihiko Ando